南九州一の繁華街 天文館ってどこ? 名前の由来は?今だから食べられる天文館のお持ち帰りグルメも!
鹿児島に旅行などで来た場合に、よく聞く「天文館」ってどこ?って思いませんか?
住んでる私ですら、天文館って繁華街のあの辺り一帯としか説明できません。
福岡の中州や天神のように(天文館一丁目なる住所が存在しません)のでますます、ややこしくなります。
バス停や電車の停留所には天文館が存在しますので、大通り周辺を天文館と言うならば、終わりはどこ?天文館公園も結構、端だよね?と思うのですが・・・定かではありません。
なぜ、繁華街のあたりを天文館と言い出したというと
ー 島津重豪が建てた暦・天文学のための研究所。「天文館」とも言い、現在の天文館通りにあった。江戸幕府は独自で暦を作ることを禁止していたが、薩摩藩は源頼朝の時期から領内に暦を導入していたと主張し、「薩摩暦」という独自の暦を作り、藩内に広めていた。明時館は大陸から伝えられた天文学知識に江戸の技術を補って安永8(1779)年に設置される。安政2(1855)年、館内に蘭学講会所が設けられたという。明時館の廃止は明らかではないが、明治初期に無くなったものと思われる。 -
との事で、今ではひっそりと天文館跡の碑があるだけです。
鹿児島県民の方でも、この碑を見たことのある方は少ないのではないでしょうか?
ぜひ、天文館に行った際は見つけてみてください。
#STAYHOME
#エア鹿児島観光
コロナが終息したらみんなで、天文館に繰り出そう!!
今だから食べられる、お持ち帰りグルメ!!
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